僕は“増やすため”じゃなく、“丸腰にならないため”にその仕組みを使っていた
昔の僕は、
便利なものや効率の良いものを見ると、
どうしても「もっと増やせるんじゃないか」と考えていた。
利益を伸ばせそう。
回収を早められそう。
同じものでも、もっと上手く回せるかもしれない。
たぶん、普通に考えれば自然なことだと思う。
誰だって、増える可能性があるなら気になる。
増やしたいからFXやってるんだもんね。
僕もずっとそうだった。
でも今振り返ると、
僕がある仕組みを使うようになった理由は、
ただ利益を増やしたかったからだけじゃなかった。
むしろ本音は逆で、
丸腰のまま相場に立ちたくなかった。
敵が目の前にいるのに、ただの布の服でいたくなかった。
こっちの方が大きかったんだと思う。
受け身のままEAを使うことが怖くなった
昔の僕は、
EAを使う時も、
どこかで受け身だった。
配布されたものを入れる。
推奨設定を信じる。
成績を見て期待する。
あとは、できるだけ上手く回ってくれることを祈る。
よく言う、お祈りトレードなんかだ。
もちろん、それで上手くいく時もある。
でも、それだけだとどうしても苦しくなる場面がある。
相場が崩れた時。
想定外の動きが来た時。
ロットや段数やコピーのされ方(コピトレなど)に違和感が出た時。
そういう時に、
「いや、これは自分で調整したい」
「この前提をそのまま飲みたくない」
と思うようになった。
あくまでEAなどは過去の値動きのデータを元に作られてるのであって、
未来永劫そのスタイルが通用するわけではない。
言葉では分かってはいるが、
実際に回していると美化したり神格化してしまうものだ。
でも実際には、そこに自分の欲や期待がどんどん乗ってしまう。
EAそのものを見るというより、自分に都合のいい希望を重ねて見てしまう。
僕も普通にそうだった。
自分の資金を守る責任は、自分にある
誰かを悪く言いたいわけじゃない。
配布者にも開発者にも、
それぞれ考えや前提があるはずだと思う。
実際、使う側からは見えない事情もあるだろう。
でもそれでも、
使う側は使う側で、
自分の資金を守る責任がある。
誰のせいにもできないし、誰も助けてはくれない。
ここは分けて考えないといけないと思った。
どれだけ成績が良く見えても、
どれだけ魅力的に見えても、
最終的に傷つくのは自分の口座だ。
だったら、
「信じる」だけで終わるんじゃなくて、
自分側で守りを持たないといけない。
悪者を見つけて疑うのではなく、
前提を信じ切ってしまっている自分をまずは疑ってみる。
そう思うようになった。
欲しかったのは、無防備にならないための防具だった
僕がその仕組みに求めていたのは、
爆発力じゃない。
まず欲しかったのは、
・ロットを自分で調整できること
・危険な設計をそのまま飲まなくていいこと
・段数や入り方を少しでもコントロールできること
・事故った時のダメージを少しでも減らせること
そういうことだった。
要するに、
相場で勝つための武器というより、
無防備にならないための防具に近かった。
もちろん、結果として利益面で助かることはある。
回収が早くなることもある。
効率が良く見えることもある。
でも僕の中では、
それは一番上の理由じゃなかった。
まず先にあったのは、
「このまま丸腰で立つのは嫌だ」
という感覚だった。
でも、不思議なことにこの感覚は最初は分からない。
僕もそうだったけど、「夢」「希望」「期待感」や
「このEAを使ったらすごいことになるぞ…」
なんていう気持ちが大事な感覚を隠してしまうのだ。
増えるかどうかより、守りの意味を見るようになった
たぶん昔の僕は、
便利なものを見ても、
そこにある“守りの意味”まで見ていなかった。
増えるかどうか。
早いかどうか。
派手かどうか。
ついそこに目が行く。
振り返って、こうやって文章にすればするほど自分が情けない。
でも今は、
少し見る場所が変わった。
それを使うことで、
自分側にどんな選択肢が増えるのか。
どれだけ事故を避けやすくなるのか。
どれだけ受け身を減らせるのか。
そこを見るようになった。
退場したくない。
生き残りたい。
もうああいう辛さは嫌だ。
そんな気持ちが、少しずつ見る場所を変えてくれたんだと思う。
これはかなり大きかった。
少しでも自分の側に守りを戻したかった
相場って、
結局いつも理不尽さがある。
ちゃんと見ていても崩れる時は崩れる。
慎重にやっていても荒れる時は荒れる。
「いや、それはさすがに聞いてない」
みたいな動きが来ることもある。
もはや相場は天災みたいなものだ。
その上で、
設計や運用前提まで全部そのまま受け入れていたら、
自分でハンドルを持っているようで、
実はかなり受け身になる。
「あ、僕は相場の前では何もコントロールできずに無力なんだ…」
僕はその感じが、だんだん怖くなった。
だから、
少しでも自分の側に守りを戻したかった。
そのために、
ある仕組みを使うようになったんだと思う。
自分の資金を、自分の意思で守りたかった
もちろん、
どんな仕組みも万能じゃない。
入れた瞬間に無敵になるわけでもないし、
それだけで安全が約束されるわけでもない。
でも、
何も持たずに相場へ立つのと、
少しでも守りの選択肢を持って立つのとでは、
やっぱり違う。
僕は後者を選びたかった。
増やすためでもある。
効率化の意味もある。
でも、それより先に、
自分の資金を、自分の意思で守りたかった。
たぶんそれが一番しっくりくる。
保険を何重にも重ねる感じだ。
もちろん、それでも突破されることはある。相場は天災みたいなものだから。
でも、当たっても致命傷にならない。どうにか回復できる。
生き残れれば立ち上がれるからだ。
受け身のまま使わないという発想
このブログで書いてきたように、
僕は一発逆転を狙うとズレやすい。
爆益を見ると心が揺れる。
危ない前兆も何度も無視してきた。
そしてようやく、
止めるのも運用のうちだと思うようになった。
守りの仕組みを先に入れる方が大事だと思うようになった。
その流れの先にあったのが、
「受け身のまま使わない」という発想だった。
武器の特性、弱点を知り、補強しながら適材適所で扱う。
これもまた、
守りながら増やすための一部なんだと思う。
次は、防御手段としての使い方を書いていく
次の記事では、
その仕組みを僕がどういう発想で使っていたのか、
もう少し具体的に書いていこうと思う。
どう使えば守りになるのか。
どういう考え方で調整していたのか。
なぜ“楽をする道具”としてではなく、
“防御手段”として見ていたのか。
そこを、実体験ベースでちゃんと書いていきたい。
派手な話ではない。
でも僕には、そういう地味な防具の方が必要だった。
攻撃力を盛る前に、
まずは鎧を着ろ。
絶対に生きて帰ってこい!
話はそれからだ。
今の僕は、
そんなふうに思っている。
この記事で書いている“守るための仕組み”について、僕が実際にどう見ていたのかをこちらにまとめました。
ライクネスを「楽する道具」ではなく、「丸腰で相場に立たないための防御手段」として見ていた理由を書いています。
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