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なぜその仕組みで、含み損の感じ方まで変わったのか

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昔の僕は、
含み損が膨らんでくると、それだけでかなりしんどかった。
割り切るつもりでいたのにまったくできなかった。

 

確定していない損失だと頭では分かっている。
まだ戻る可能性もある。
今ここで慌てても仕方ない。

 

そんなことは、一応分かっているつもりだった。

 

でも実際には、
数字が赤くなっていくのを見るだけで、心まで引っ張られる。

 

冷静なふりをしていても、
頭の中ではずっとそのことを考えてしまう。

 

「大丈夫か?」
「これ、想定より重くないか?」
「まだ耐えるのか?」
「本当に戻るのか?」

 

含み損って、ただの数字じゃない。
人の余裕とか集中力とか、そういうものまで削ってくる。

 

昔の僕は、そこをかなり甘く見ていたんだと思う。

 

 

含み損がつらいのは、コントロールできない感じが強くなるから

含み損がつらい理由って、
単にマイナスだからだけじゃない。

 

自分でコントロールできない感じが強くなるからだと思っている。

 

エントリーした瞬間は、まだ自分で選んだ感覚がある。
でも逆に走り出して、含み損が膨らみ始めると、
急に主導権が向こうへ行った感じがする。

 

見ているしかない。
祈るしかない。
戻るのを待つしかない。

 

主導権を奪い返すにも、
それ相応の知識やスキルが無いと火に油を注ぐようなものだ。

 

この状態が長くなるほど、きつい。

 

損失そのものより、
そのあいだ何もできない感じの方が僕にはきつかった。

 

 

含み損を受ける時の感覚まで少し変わった

前の記事までで書いてきたように、
僕はその仕組みを“増やすため”だけじゃなく、
“守るため”のものとして見ていた。

 

で、実際に使ってみて大きかったのが、
含み損を受ける時の感覚まで少し変わったことだった。

 

「あれ、いつもより痛みが浅いかもしれない」
そんな感覚だった。

 

ここは、自分でも最初は意外だった。

 

利率がどうとか、
回収がどうとか、
そういう話だけならまだ分かる。

 

でも、含み損の感じ方まで変わるのはなんでなんだろうと、
あとから少し考えるようになった。

 

 

全部をそのまま受けている感じが減った

たぶん理由のひとつは、
全部をそのまま受けている感じが減ったからだ。

 

ロット。
コピーのされ方。
段数の入り方。
そういうものを少しでも自分側で調整できると、
含み損が出た時の受け止め方も変わる。

 

もちろんマイナスはマイナスだし、
嫌なものは嫌だ。

 

でも、

 

「これは全部丸飲みしてるわけじゃない」
「少なくとも何も考えずに受けてるわけじゃない」
「自分なりに守りを入れた上での結果だ」

 

こう思えるだけで、かなり違う。

 

ただ流されている時の含み損と、
少しでも自分で受け方を選んだ上での含み損は、
同じマイナスでも体感が違う。
想定外を最初から折り込むという感覚。

 

僕にはそう感じられた。

 

 

守りを入れると、含み損の前に少し余白ができた

昔の僕は、
含み損が出るとすぐに視野が狭くなっていた。

 

今いくら減ってるか。
どこまで行くのか。
助かるのか。
終わるのか。

 

そのことばかりになる。

 

でも、守りの仕組みを少し入れるようになってからは、
そこにほんの少しだけ余白ができた。

 

すごく大きな余裕じゃない。
達観なんて全然してない。
普通に嫌だし、普通に怖い。

 

でも、

 

「まだ受けきれない形じゃない」
「まだ全部終わりの顔ではない」
「まだ対応の余地がある」

 

こう思える瞬間が少しだけ増えた。

 

この“少し”がかなり大きい。

 

突発的に慌てて逃げるのではなく、
最初から逃げ道を作っておくから“少し”の余白が生まれる。

 

 

必要だったのは、耐える強さより耐えやすい形だった

含み損って、
精神論だけで耐えようとするとかなり苦しい。

 

大丈夫、大丈夫。
そのうち戻る。
耐えろ、耐えろ。

 

こういう根性論だけだと、どこかで崩れる。

 

というか、僕は崩れた。

 

だから、
必要だったのは、「耐える強さ」より
耐えやすい形にしておく工夫だったんだと思う。

 

つまり、自分が制御可能な形。
ここは自分の中でもかなり大きな変化だった。

 

 

傘を持って立つだけで、雨の受け方は変わる

たとえば同じ雨でも、
傘なしで立つのと、
傘を差して立つのでは全然違う。

 

雨そのものは止まない。
濡れる時は濡れる。
風が強ければ服だって濡れる。

 

でも、
何も持たずに浴びるのと、
少しでも防ぐものを持って浴びるのとでは、
その後の消耗が違う。

 

雨の日は、傘1本、タオル1枚がどれだけありがたいか。

 

僕にとって、その仕組みは少しそんな感じだった。

 

含み損そのものを消せるわけじゃない。
でも、まともに全部を浴びる感じを少し減らせる。

 

その違いが、
含み損の感じ方まで変えていたんだと思う。

 

 

含み損を“失敗確定”として受けにくくなった

あと、もうひとつ大きかったのは、
含み損を“失敗確定”として受けにくくなったことかもしれない。

 

昔の僕は、
含み損が膨らんでくると、それだけで
「やっぱりダメか」
「またやったか」
と、自分を追い詰めやすかった。

 

でも今は、
少しだけ見方が変わった。

 

含み損は嫌だ。
できれば見たくない。
でも、相場にいる以上それ自体は避けきれない。

 

だったら問題は、
その含み損をどう受けるかだ。

 

浅くできるのか。
持ちこたえられるのか。
立て直せるのか。
終わらずに済むのか。

 

変な話、崩れる可能性まで含めて想定しておく。
そのうえで、次の一手やリカバリーを考える余地を作る。

 

そういう視点を持てるようになると、
含み損そのものの重さも少し変わる。

 

 

含み損との付き合い方が変わった

僕は、含み損が平気になったわけじゃない。

 

そこは誤解しないでほしい。
今でも嫌だし、怖いし、見たくない時は普通にある。
むしろ、腹立たしくてしょうがない。
常にオールブルーでいさせてくれって。

 

でも、昔みたいに
「赤い数字=即メンタル崩壊」
みたいな感じでは少しなくなった。

 

全部をそのまま受けるんじゃなくて、
少しでも守りを入れた上で受ける。

 

その違いが、
含み損の数字そのものより、
含み損との付き合い方を変えてくれたんだと思う。

 

 

含み損は、ただ我慢するものじゃなく受け方を設計するもの

このブログでここまで書いてきたように、
僕は一発逆転を狙うとズレやすい。
爆益を見ると心が揺れる。
危ない前兆も何度も無視してきた。
そしてようやく、
守る仕組みを先に入れることの意味が分かってきた。

 

その流れの中で見えてきたのが、
含み損ってただ我慢するものじゃなくて、
受け方を設計するものでもある
ということだった。

 

これが分かってきたのは、
かなり大きかった。

 

ゲームが好きな僕にとって「受け」というものを考えたことがなかった。
「攻め」のみの一辺倒。そりゃ負けますよね。

 

 

次は、なぜ“丸腰じゃない”と思えたのかを書いていく

次の記事では、
その仕組みを使うことで
なぜ「丸腰じゃない」と思えたのかを、
もう少しはっきり書いていこうと思う。

 

防御手段って、
ただ損を減らすためだけじゃない。
メンタルや判断力まで含めて、
自分を守る意味があるんだと思う。

 

派手ではない。
でも、こういう地味な守りの方が、
長く生き残るには大事なんだろうと思う。

 

相場は、最速クリアや最短クリアを目指すものじゃない。
どれだけ長く生き残って付き合えるかの方が大事なんだと思っている。

 

そのためには
赤い数字を消すことより、
赤い数字の前で壊れないこと。

 

今はそっちの方が、
ずっと大事に思える。

 

 

 

この記事で書いている“守るための仕組み”について、僕が実際にどう見ていたのかをこちらにまとめました。

ライクネスを「楽する道具」ではなく、「丸腰で相場に立たないための防御手段」として見ていた理由を書いています。

→ ライクネスを“防御手段”として見ていた理由▶

 

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ヤマオ|丸腰勇者

一発逆転ではなく、生存と再建。

ヤマオ|丸腰勇者

FXで何度も遠回りし、爆益の夢にも焼かれながら、今は「守りながら増やす」を軸に再構築中。 EA、コピー運用、裁量、研究まで、相場で生き残るための実戦と検証を記録しています。 ※アイコンは美化1000%くらい過剰です

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