その仕組みで、実際に何が変わったと感じたのか
前の記事では、
守るための仕組みを、
僕が実際にどういう考え方で使っていたのかを書いた。
大事だったのは、
ただ便利なものを入れることではなく、
それをどう運用全体の中に組み込むかだった。
ロット。
口座。
停止判断。
相場の状態。
含み損の受け方。
そういうものとセットで考えることで、
少しでも丸腰じゃない状態を作ろうとしていた。
今回は、
その仕組みを使うことで、
実際に何が変わったと感じたのかを書いていきたい。
もちろん、
これを使ったから全部がうまくいったとか、
絶対に安全になったとか、
そういう話ではない。
相場は相変わらず怖い。
含み損は普通にしんどい。
設定を間違えれば危ない。
止めるべき時に止めなければ、結局は傷を負う。
それでも、
昔のようにただ祈るだけだった頃とは、
明らかに違う感覚があった。
最初に変わったのは、利益よりも“受ける感覚”だった
使い始めて感じた変化は、
いきなり「すごく稼げるようになった」というより、
まず受ける感覚が変わったことだった。
同じ運用を見るにしても、
ただそのまま受けるのではなく、
自分の側で少し調整できる。
この感覚は、思っていた以上に大きかった。
前は、
EAやコピー運用を使う時に、
どうしても「相手の運用をそのまま受ける」感覚が強かった。
もちろん、
それが悪いわけではない。
でも、
そのまま受けるということは、
利益もそのまま受けるけど、
リスクもそのまま受けるということでもある。
ハイリスクハイリターンという言葉は頭では分かっている。
ただ、実際に自分の資金で真っ赤な含み損を見たときに
分かってるはずなのに分かっていない。
「この金額までは想定していた!」はずなのに…
という気持ちだ。
そして、
そのリスクが自分の許容範囲を超えた時、
一気にメンタルが崩れる。
僕が欲しかったのは、
爆益を取りに行くためのアクセルだけではなく、
受け方を少しでも整えるためのブレーキや防具だった。
利率より先に、“回収できそうな感覚”が変わった
実際に使っていて大きかったのは、
利率そのものよりも、
「これなら少し回収しやすいかもしれない」と感じられたことだった。
利率は結果的に上がるのであって、
ここで言う回収しやすいというのは
ほんの数%でも、安全側に寄せられたように感じたからだ。
もちろん、
回収できることが保証されるわけではない。
相場が荒れれば普通に危ないし、
含み損が広がる時は広がる。
一度崩れたものが必ず戻るとも限らない。
それでも、
何もできずにただ見ているだけだった時と比べると、
かなり感覚が違った。
少しでも傷を浅くできるかもしれない。
少しでもロットの受け方を変えられるかもしれない。
少しでも自分の側で調整できるかもしれない。
そう思えるだけで、
同じ含み損でも見え方が変わる。
数字の上でまだ苦しくても、
心の中に少しだけ余白ができる。
僕にとっては、
この“回収できそうな感覚”がかなり大きかった。
含み損を見た時のメンタルが少し変わった
含み損は、
ただの数字ではないと思う。
画面上では赤い数字が増えているだけに見える。
でも実際には、
それを見るたびに、
焦りも増える。
不安も増える。
判断力も削られる。
昔の僕は、
含み損を見ると一気に視野が狭くなっていた。
「どうしよう」
「戻ってくれ」
「ここで切ったら損が確定する」
「もう少し待てば助かるかもしれない」
そんなことばかり考えて、
本来見るべき相場の状態や、
止めるべき判断が遅れることもあった。
でも、
受け方を少しでも変えられると思えると、
含み損の前で完全に固まる感覚が少し薄くなる。
もちろん、
怖くなくなるわけではない。
怖いものは怖い。
嫌な数字は嫌だ。
見たくないものは今でも見たくない。
それでも、
「まだ何かできるかもしれない」
「まだ完全に終わりではない」
と思えるだけで、
メンタルの崩れ方は少し変わった。
想定外が来ても想定内の赤。
最悪切っても大丈夫な赤。
メンタルの崩れを少し修正する感じだ。
“ただ祈るだけ”から少しだけ抜け出せた
僕にとって一番苦しかったのは、
相場が逆行した時に、
ただ祈るしかない状態だった。
チャートを見る。
含み損を見る。
またチャートを見る。
祈る。
少し戻る。
また祈る。
さらに逆行する。
心が削られる。
この状態は本当にしんどい。
何かをしているようで、
実際にはほとんど何もできていない。
ただ画面の前で、
自分の資金が削られていくのを見ているだけ。
昔の僕は、
こういう状態に何度もなった。
だからこそ、
少しでも自分の側に選択肢が戻ってくることが大きかった。
そのまま受けるしかない状態から、
少しでも受け方を考えられる状態へ。
ただ祈るだけの状態から、
少しでも次の判断を考えられる状態へ。
ほんの少しかもしれない。
でも、それが命運を分けるときがあるかもしれないから。
この違いは、
外から見ると地味かもしれない。
でも、
実際に含み損の前に立っている本人からすると、
かなり大きな違いだった。
判断の余地が残ることが、かなり大きかった
守るための仕組みを使っていて感じたのは、
最終的に大事なのは、
判断の余地が残ることだということだった。
人は追い詰められると、
まともに考えられなくなる。
普段なら見送れる場面で入ってしまう。
普段なら止められる場面で止められない。
普段ならやらないロットで勝負してしまう。
普段ならしないナンピンや追加をしてしまう。
そうやって、
一つのミスが次のミスを呼ぶ。
だから、
守りというのは、
ただ損失を減らすことだけではないと思っている。
判断力を残すこと。
冷静さを少しでも残すこと。
次の一手を考えられる状態を残すこと。
良い意味で傍観できること。
何もできなくて傍観するしかない、ではなく、
傍観できる余裕があるということだ。
これも、かなり大事な守りだと思う。
僕にとって、
守るための仕組みは、
この判断の余地を残すためにも意味があった。
ただし、安心感は油断にも変わる
一方で、
ここは注意しないといけない。
守る感覚があると、
安心感が生まれる。
でも、
安心感は油断にも変わる。
「これなら大丈夫かも」
「まだ耐えられるかも」
「この仕組みがあるからいけるかも」
「少しロットを上げてもいいかも」
こうなってくると、
かなり危ない。
守るための仕組みを使っているはずなのに、
いつの間にか攻めるための言い訳にしてしまうことがある。
僕自身、
こういう欲は普通にある。
利益が出れば嬉しい。
もっと増やしたくなる。
早く回収したくなる。
周りの爆益報告を見ると焦る。
だからこそ、
安心感が出てきた時ほど、
自分の欲を疑う必要があると思っている。
あくまで次の行動をするための時間や判断ができる安心感だ。
守るための仕組みを使っているのに、
それを理由に危ないことをしていたら、
本末転倒だ。
変わったのは、勝ち方よりも負け方の見え方だった
こうして振り返ると、
僕の中で大きく変わったのは、
勝ち方というより、
負け方の見え方だったのかもしれない。
どう勝つか。
どう増やすか。
どう早く回収するか。
昔は、
そういうところばかり見ていた。
でも今は、
それと同じくらい、
どう崩れないか。
どう傷を浅くするか。
どう冷静さを残すか。
どう止めるか。
どう次に残すか。
そういうことを見るようになった。
派手な勝ち方より、
壊れにくい負け方。
「逃げるが勝ち」が正義の時もある。
この感覚が持てるようになったことは、
僕にとってかなり大きかった。
相場では、
勝つ日よりも、
負けそうな日にどう振る舞うかの方が、
長く残るうえでは大事なのかもしれない。
次は、実際の使い方や注意点に入っていく
ここまで書いてきたように、
守るための仕組みを使って変わったのは、
単純な利益だけではなかった。
受ける感覚。
回収できそうな感覚。
含み損の見え方。
判断の余地。
負け方への意識。
そういう部分が少しずつ変わっていった。
もちろん、
全部が綺麗にうまくいったわけではない。
便利だからこそ危ない場面もある。
安心感が油断になることもある。
設定や資金管理を間違えれば普通に危ない。
止めるべき時に止めなければ、結局は壊れる。
だから次は、
もう少し具体的に、
実際にどう使っていたのか、
どんなところに注意していたのかを書いていこうと思う。
道具は、
持っているだけでは守ってくれない。
どう使うか。
どこで止めるか。
どこまで許容するか。
何重にも安全網や防護壁を用意するイメージと一緒だ。
そこまで考えて初めて、
少しだけ防具として意味を持つんだと思う。
この記事で書いている“守るための仕組み”について、僕が実際にどう見ていたのかをこちらにまとめました。
ライクネスを「楽する道具」ではなく、「丸腰で相場に立たないための防御手段」として見ていた理由を書いています。
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