守る仕組みと防御の工夫

なぜその仕組みで、「丸腰じゃない」と思えたのか

目安時間 11分
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昔の僕は、
相場に入るたびに、
どこかで「運が良ければ助かる」「うまくいけば勝てる」
みたいな感覚で立っていた気がする。

 

もちろん、ルールがなかったわけじゃない。
何も考えていなかったわけでもない。
でも、今振り返ると、かなり丸腰だった。

 

相場は理不尽に動く。
想定外のことも起きる。
含み損は膨らむし、メンタルも削られる。

 

そういう世界にいるのに、
守りの仕組みをほとんど持たないまま立っていた。

 

それって、
冷静に考えたらかなり怖いことだったんだと思う。

 

無知、初心者、経験不足。
そういうものが重なって、守りはほとんどゼロに近かったんだと思う。

 

 

“丸腰じゃないかもしれない”と思えるようになった

前の記事までで書いてきたように、
その仕組みを使うようになってから、
僕の中ではいろいろな感覚が少しずつ変わった。

 

助かる感覚。
回収の感覚。
含み損の感じ方。

 

でも、その根っこにあったのは、
もっとシンプルな変化だったのかもしれない。

 

それは、

 

「あ、自分は丸腰じゃないかもしれない」

 

と思えるようになったことだ。

 

ようやく手に入った盾でも、鎧でも、防具なら何でもいい。
防御魔法でもいいし、守ってくれる仲間でもいい。

 

身を少しでも守れるってことが大事。

 

 

無敵ではない。でも、何もできない状態ではなくなった

これは、
無敵になったという意味じゃない。

 

絶対に安全だとか、
これで全部大丈夫だとか、
そういう話ではまったくない。

 

相場は相変わらず怖い。
普通にしんどい時もある。
嫌なものは嫌だし、見たくない数字は今でも見たくない。

 

それでも、
昔より少しだけ違ったのは、
何もできない状態ではなくなった感覚があったことだった。

 

ただ見ているだけ。
ただ祈るだけ。
ただ耐えるだけ。

 

大きな相場の波に飲まれ、
ただただ祈って立ち尽くし
己の無力さを感じるのみ。

 

そういう状態から、
少しでも自分の側に選択肢が戻ってきた感じ。

 

これがすごく大きかった。

 

 

丸腰とは、自分で守る余地がない状態だった

丸腰って、
単に知識がないことだけじゃないと思う。

 

自分で調整する余地がない。
守る手段を持っていない。
危険をそのまま飲み込むしかない。
なのに、どこかで「たぶん大丈夫」と思ってしまう。

 

言い換えれば、自分以外の誰かにほとんど委ねている状態だ。

 

僕にとっての丸腰って、
たぶんそういう状態だった。

 

だから逆に言えば、
完璧じゃなくても、

 

・少し調整できる
・少し守れる
・少し傷を浅くできる
・少しでも自分で選べる

 

そういうものがあるだけで、
丸腰感はかなり薄くなる。

 

僕はそこに助けられたんだと思う。

 

 

0が1になるだけで、心の立ち位置は変わる

たとえば、
同じ相場に立つにしても、

 

何も持たずに立つのと、
少しでも盾を持って立つのとでは、
やっぱり気持ちが違う。

 

もちろん、
盾があっても吹き飛ぶ時は吹き飛ぶ。
完全には防げない。
相場はそんなに甘くない。

 

でも、
それでも“ゼロではない”のが大きい。

 

何もない0と、
少しでも守りがある1では、
見た目以上に差がある。

 

僕が「丸腰じゃない」と感じたのは、
この0が1になった感覚に近い。

 

防御力は数字上は1かもしれない。
でも精神衛生上はもっと数値が高いと思う。

 

 

前は、
含み損が出ても、
「うわ、どうしよう」しかなかった。

 

崩れそうになっても、
「頼む、戻ってくれ」しかなかった。

 

そこに、
少しでも

 

「まだ調整できる」
「まだ浅くできる」
「まだ終わりじゃない」

 

と思える余地があるだけで、
人はかなり違う。

 

数字が変わる前に、
まず心の立ち位置が変わる。

 

全部を受け身で食らう側じゃなくて、
少しでも受け方を選ぶ側に戻れる。

 

たぶん、
僕にとって“丸腰じゃない”って、
そういうことだったんだと思う。

 

カッコよく言えば、
ピンチになっても目が死んでいない感じだ。
心の立ち位置が変わるって、そういうことなんだと思う。

 

 

守りの余地は、判断力まで守ってくれた

しかも大きかったのは、
その感覚が
単なる安心材料じゃなくて、
判断力まで守ってくれたことだ。

 

人って、
本当に追い詰められると、
まともに考えられなくなる。

 

見えるものも見えなくなるし、
普段ならしない判断もしてしまうし、
余計な一手で傷口を広げることもある。

 

僕はそれを何度もやってきた。

 

だから、
「まだ大丈夫」と雑に楽観するんじゃなくて、
「まだ少し余地がある」と思えることが大事だった。

 

この差はかなり大きい。

 

余地があると、
人は少しだけ冷静でいられる。

 

それが結果的に、
メンタルだけじゃなく、
次の判断まで守ることにつながる。

 

余地があるからこそ、諦めない判断も、
勇気ある撤退も、次の一手も考えられる。

 

 

昔の僕は、
守りを軽く見ていた。

 

というより、
攻めることばかり考えていた。

 

どう増やすか。
どう勝つか。
どう一撃を取るか。

 

でも今は、
少しずつ見方が変わった。

 

相場で本当に大事なのは、
“勝てること”だけじゃない。

 

壊れないこと。
終わらないこと。
まだ立っていられること。

 

そのために、
少しでも守りを持っていること。

 

その意味が、
ようやく少し分かってきた気がする。

 

相場って、無慈悲なサバイバルゲームに近いのかもしれない。
平気で危険が飛んでくるフィールドの中に立っているようなものだ。

 

 

ここまで書いてきたことは、“丸腰で立たない”に繋がっている

このブログでここまで書いてきたことは、
全部そこにつながっているんだと思う。

 

一発逆転を狙うたびにズレていったこと。
爆益を見て心が揺れたこと。
「あ、これあかんやつや」の前兆を無視してきたこと。
止めることの大事さ。
守る仕組みの意味。
助かる感覚。
含み損の感じ方の変化。

 

その先にあったのが、

 

「丸腰で立たない」という意識だった。

 

これって、
派手ではない。
むしろかなり地味だと思う。

 

でも、今の僕には
こういう地味な守りの方が、
よほど現実的で大事に思える。

 

 

次からは、仕組みの話を実践寄りに書いていく

次の記事からは、
この“仕組み”の話を、
もう少し実践寄りに書いていこうと思う。

 

どういう考え方で使っていたのか。
どういう場面で意味を感じたのか。
何を守れて、何は守れなかったのか。

 

そこまで入っていくと、
かなりレビューにも近づいてくる。

 

でも、ここまで書いてきた土台があるからこそ、
ただの紹介じゃなく、
僕の実感として書ける気がしている。
相場では随分と痛い目を見てきたので…

 

なので相場では、
強い武器を持つことより先に、
裸で立たないこと。

 

攻撃力よりも防御力を優先って感じかな。

 

今の僕は、
それだけでも十分大きな進歩だったと思っている。

 

そしてたぶん、
そこからやっと
“守りながら増やす”が始まるんだと思う。

 

 

 

この記事で書いている“守るための仕組み”について、僕が実際にどう見ていたのかをこちらにまとめました。

ライクネスを「楽する道具」ではなく、「丸腰で相場に立たないための防御手段」として見ていた理由を書いています。

→ ライクネスを“防御手段”として見ていた理由▶

 

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この記事を書いた人

ヤマオ|丸腰勇者

一発逆転ではなく、生存と再建。

ヤマオ|丸腰勇者

FXで何度も遠回りし、爆益の夢にも焼かれながら、今は「守りながら増やす」を軸に再構築中。 EA、コピー運用、裁量、研究まで、相場で生き残るための実戦と検証を記録しています。 ※アイコンは美化1000%くらい過剰です

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